よって仏教学者は必ず三蔵十二部を学ぶ基本とするべきである。”と述べており、且つ《雲棲法彙閲蔵要語》の中にも“大蔵経の解釈は戒定慧に過ぎず・・・、戒定慧は即ち念仏法門であり、その真意とは?
戒とは非を防いで大義と化し、一心不乱に念仏に専念できるならば、諸悪の入り込む隙が無く、これが所謂戒である。定とは散漫を除去して大義と化し、一心不乱に念仏に専念出来るならば、心が俗縁から切り離して、これが所謂定である。慧は明りを照らして大義と化し、仏の声を仰げれば教えが全て明白であり、想念が非現実で得られないものと悟る事も出来、これが所謂慧である。このように念仏が戒定慧であるとすれば、文面の一句一字に拘って蔵経を閲読する必要であろうか?”これらの論点は彼が説いた念仏法門統摂無量法門の観念を体現したものである。
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